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最高裁判所第三小法廷 昭和58年(行ツ)31号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人保津寛、同露口佳彦、同佐々木信行、同岡和彦の上告理由第二点、第四点及び第五点について

一  原審の確定した被上告人が本訴を提起するに至るまでの経緯は次のとおりである。

1  ドイツ人カール・ユーハイムとその妻エリーゼ・ユーハイムは、大正一三年に神戸市三宮町において洋菓子店「ユーハイム商店」を創業し、以来その製造販売する洋菓子は、原判決別紙第二記載の商標(花文字で「Juchheim’s」の欧文字を横書きし、その下にゴシック体で「ユーハイム」の片仮名文字を併記したもの)又は右商標のうちのローマ字部分の商標と共に、広く関西方面において有名となつた。

2  「ユーハイム商店」は、昭和二〇年にカール・ユーハイムが死亡し、また、営業所が焼失したため休業状態になつていたが、昭和二三年に旧従業員により再建され、被上告人株式会社ユーハイムとなつた。そして、被上告人は、昭和二六年五月三一日、前記原判決別紙第二記載の商標の登録出願をし、右商標は、昭和二九年一月一三日、登録された。

3  上告人株式会社ユーハイム・コンフェクトは、昭和二六年に設立され、神戸市に本拠を置いて、被上告人と同種類の洋菓子を製造販売しているものである。上告人は、原判決別紙第一記載の商標(「株式会社ユーハイムコンフェクト」の文字を縦書きしたもの)につき、昭和二六年一一月三〇日、旧第四三類「菓子及び麺麭の類」を指定商品として登録出願し、右商標は、昭和三〇年六月二九日、登録された(以下「本件登録商標」という。)。

4  被上告人と上告人は、昭和三〇年四月二三日、被上告人は上告人が片仮名文字の「ユーハイム・コンフェクト」の商標を使用することを認める旨の裁判上の和解をした(以下「本件和解」という。)。

5  被上告人は、昭和四二年一二月一二日、商標法五一条一項に基づき、上告人がその商品の洋菓子について使用する原判決別紙第三記載の商標(以下「本件各使用商標」という。)は本件登録商標に類似するものであり、上告人によるその使用は被上告人の業務に係る商品の洋菓子と混同を生ずるものであることを理由として、本件登録商標の登録を取り消すことについて審判を請求した。

6  特許庁は、昭和五五年四月二二日、上告人による本件各使用商標の使用は本件和解に基づく使用であつて本件登録商標を故意に変更して使用しているものではないから、本件登録商標の登録は商標法五一条一項の規定により取り消されるべきではないとして被上告人の右審判請求を排斥する審決をした(以下「本件審決」という。)。

二  被上告人は、本訴により、本件審決は違法であると主張してその取消を請求するものであるところ、上告人は、原審において、次の理由により被上告人の本件審判請求は信義則に反し許されないと主張した。

1  上告人は、従来から、その製造に係る洋菓子に商号商標「ユーハイム・コンフェクト」を、「ユーハイム」に付帯して「コンフェクト」をやや小さく、あるいは「ユーハイム」と「コンフェクト」を二段に分けて表示使用していた。

2  ところが、被上告人は、昭和二六年一〇月、上告人に対し、上告人の使用する商号及び商標の使用差止を求める仮処分申請をし、次いで同旨の本案訴訟も提起した。しかし、昭和三〇年四月二三日、被上告人と上告人の間に本件和解が成立した。

3  本件和解の内容は、被上告人は、上告人に対し、「ユーハイム・コンフェクト」の商号及び商標の使用を認め、上告人が出願した本件登録商標に対する登録異議申立を取り下げてそれが登録されることを認めること、上告人は、被上告人に対し、和解金一二〇万円を支払うこと等を骨子とするものである。そして、本件和解の趣旨とするところは、被上告人は、上告人に対し、被上告人の登録商標と同一又は類似のものの使用を禁ずるが、上告人が当時「ユーハイム・コンフェクト」の商標を片仮名文字により表示するについて「ユーハイム」部分に比し「コンフェクト」部分の文字を小さくし、また、両者を二段書きに使用していた現状をそのまま承認し、その表示方法を限定することなく、ただローマ字による商標の表示については、和解調書添付の別紙において指定した書体のものに限定したうえでその使用を承認するところにあつたものである。

4  以上のような、本件和解に至るまでの経緯及びその趣旨から考えると、本件各使用商標は、本件和解成立以前に使用されていたものを継続踏襲しているものであり、本件和解により被上告人が上告人にその使用を認めたものである。このように被上告人が、本件和解により、上告人による本件各使用商標の使用を認め、また、上告人が出願した本件登録商標に対する登録異議申立を取り下げてそれが登録されることを認め、その対価として上告人から和解金一二〇万円を受領しながら、他方において、上告人による本件各使用商標の使用を理由に、商標法五一条一項の規定に基づき本件登録商標を取り消すことについて審判を請求することは信義則に反し許されないものといわなければならない。

三  これに対し、原審は、大要次の理由により上告人の右主張を排斥し、本件審決の取消を求める被上告人の本訴請求を認容した。

1  本件各使用商標が商品に使用された場合、「ユーハイム」とのみ称呼されて取引に供されることが多いこと及び被上告人の商標が登録された経緯に徴すれば、上告人が洋菓子について本件登録商標に類似する本件各使用商標を使用するときは、被上告人の業務に係る商品の洋菓子と混同を生ずることは明らかである。そして、上告人は、本件登録商標に類似する本件各使用商標を使用することの認識を有しており、また、本件各使用商標を使用することが被上告人の業務に係る洋菓子との間に混同を生ずるものであることを認識していたものというべきであるから、上告人には商標法五一条一項所定の故意がある。

2  乙第一号証によれば、被上告人が本件和解において上告人による使用を認めたものは、ローマ字表示のもののほか、片仮名文字の「ユーハイム」と「コンフェクト」との間に「点」があるものであることが認められるところ、この事実によれば、被上告人は上告人に対し「ユーハイム」と「コンフェクト」を同一の大きさの文字で、しかもこれを一連に書してなる商標の使用を許したにすぎず、本件各使用商標のように、「コンフェクト」の部分を「ユーハイム」の部分より小さく表示したり、二段書きにして使用することは許していないものというべきである。なぜなら、「ユーハイム」と「コンフェクト」の大きさを違えたり、両者を二段書きにしたりすることは、両部分の間の「点」の存在を全く無意味にしてしまうからである。したがつて、本件各使用商標が本件和解において被上告人が上告人にその使用を認めたものに当たることを前提とする上告人の主張は理由がない。

3  商標法五一条一項は、商標権者が登録商標を不当に使用することによつて、一般公衆が商品の品質を誤認したり又は他人の業務に係る商品との間に混同を生じたりすることがないように、登録商標の不当使用者に対し、その登録商標の登録を取り消し、もつて一般公衆の利益を保護することを主要な目的とするものであるから、本件和解が存在するとしても、その和解によつて、上告人の本件登録商標の不当使用の違法性を阻却する事由となるものではない。

4  よつて、本件審決は誤りであるから、その取消を求める被上告人の本訴請求は理由がある。

四  しかしながら、記録によれば、本件和解調書である乙第一号証の本件和解条項には、被上告人が上告人に対してその使用を認めた商号商標として、ローマ字表示のものは具体的に図示してその表示態様に制限が付されているが、片仮名文字で表示する「ユーハイム・コンフェクト」についてはその表示態様に格別制限が付されていないことが窺われるうえ、本件和解条項には、本件登録商標につき「ユーハイム・コンフェクト」と表示されているが、本件登録商標は、実際には、「ユーハイム」と「コンフェクト」との間に「点」がないものであることが窺われるから、本件和解条項に、被上告人が上告人に対してその使用を認めたものとして、ローマ字表示のもののほか、片仮名文字の「ユーハイム」と「コンフェクト」との間に「点」があるものが記載されているという形式的な事項を過大に評価することはできず、このことのみによつて、本件各使用商標が本件和解において被上告人が上告人にその使用を認めたものに当たらないと即断することはできないものといわなければならない。本件各使用商標が本件和解において被上告人が上告人にその使用を認めたものに当たるか否かは、本件和解条項全体の具体的な内容のほか、上告人が従来からその製造に係る洋菓子に商号商標「ユーハイム・コンフェクト」を、「ユーハイム」に付帯して「コンフェクト」をやや小さく、あるいは「ユーハイム」と「コンフェクト」を二段に分けて表示使用しており、そのような使用状況を前提として本件和解がなされたとする上告人の主張事実をそのとおり認めることができるか否かをも総合して、本件和解条項の文言の意味するところを検討したうえで認定すべきものである。しかるに原審は、右のとおりこれらの点について検討を加えず、本件和解条項の一部の形式的な事項のみをとりあげて、本件各使用商標が本件和解において被上告人が上告人にその使用を認めたものに当たらないと認定したものであるから、原判決には、本件和解条項の解釈について審理不尽、理由不備の違法があるといわなければならない。

ところで、商標法五一条一項の規定は、本来商標の不当な使用によつて一般公衆の利益が害されるような事態を防止し、かつ、そのような場合に当該商標権者に制裁を課す趣旨のものであり、需要者一般を保護するという公益的性格を有するものであることはいうまでもない。しかしながら、商標法は、出所の混同については、これを商標の不登録事由としているが(同法四条一項一五号)、商標登録が右規定に違反してされた場合の無効審判の請求に五年の除斥期間を設け(同法四七条)、また、更新登録の際の登録拒絶事由にしていない(同法一九条二項ただし書、二一条)のであつて、出所の混同を生ずるような商標が一旦登録され、その状態が五年以上継続すると、登録を受けた商標権者の利益の方を保護すべきものとし、出所の混同の被害者である営業者や一般公衆の利益を後退させているのである。このような出所の混同を生ずる商標に関する商標法の規定の趣旨をも勘案すると、上告人による本件各使用商標の使用が被上告人の業務に係る商品である洋菓子と混同を生ずるもので、同法五一条一項所定の要件を充たしているとしても、上告人が主張するとおり、本件各使用商標が本件和解において被上告人が上告人にその使用を認めたもの、換言すれば、被上告人がその登録商標に基づく禁止権を放棄したものに当たり、しかも、本件和解において、被上告人が上告人に対し、上告人が出願した本件登録商標に対する登録異議の申立を取り下げてそれが登録されることを認め、その対価として被上告人が和解金として上告人から一二〇万円を受領し、その結果、上告人が本件各使用商標を使用継続したという事実が認められるとすれば、被上告人は、たとえ公益的性格を有する同項に基づいてであつても、自ら本件登録商標の登録を取り消すことについて審判を請求することは、信義則に反するものとして許されないものといわなければならない。

そうすると、原判決の前記違法は、判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、以上と同旨をいう論旨は理由があり、原判決は、破棄を免れない。そして、本件についてさらに審理を尽くす必要があるから、本件を原審に差し戻すのが相当である。

よつて、その余の上告理由に対する判断を省略し、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条に従い、裁判官伊藤正己の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官伊藤正己の反対意見は、次のとおりである。

私は、商標法五一条一項の規定(以下「同規定」という。)に基づく被上告人の審判請求を排斥した特許庁の審決が違法であるとして、被上告人の本訴審決取消の請求を認容した原審の判断は、これを是認することができ、本件上告を棄却すべきものであると考える。

多数意見は、被上告人が昭和三〇年四月二三日に上告人との間で本件和解を成立させ、本件各使用商標の使用を上告人に対して認めたとすれば、被上告人自ら同規定に基づいて上告人のもつ本件登録商標の登録を取り消すことについて審判を請求することは信義則に反して許されないものであると判示する。

私の見解によれば、商品の出所混同によつて利益を侵害された営業者の利益は、本来、商標法や不正競争防止法に基づく使用差止め、損害賠償請求などの手段によつて法的に保護されるべきものであり、このような私益救済のための制度については、和解により商品の出所混同を容認したからには、右の制度に基づいて救済を求めることが信義則、禁反言の原則によつて抑止されることはやむをえないと解される。したがつて、本件各使用商標が本件和解において被上告人が上告人にその使用を認めたものに当たり、しかも、本件和解において、被上告人が上告人に対し、上告人が出願した本件登録商標に対する登録異議の申立を取り下げてそれが登録されることを認め、その対価として被上告人が和解金として上告人から一二〇万円を受領し、その結果、上告人が本件各使用商標を長期間使用継続したという事実が認められるとすれば、被上告人が商標法や不正競争防止法に基づきその使用差止めの救済を求めることは信義則に反するといわねばならない(本件各使用商標の使用の差止めが認められなかつた最高裁昭和五五年(オ)第五四〇号同五七年一二月一〇日第二小法廷判決参照)。

しかし、同規定は、一般公衆である需要者の保護を目的とするものであり、本件についていえば、上告人の製造する商品について本件各使用商標を使用することによつて被上告人の製造する同種の商品との混同が需要者一般に生ずることを防止して一般公衆を保護しようとするものであつて、これによつて被上告人の私的な利益も保護されるとしても、それは、同規定の本来の趣旨とするところではなく、むしろ附随的な効果にすぎない。同規定による商標登録の取消は、「何人も」請求することができるとされていることもこのことを示している。したがつて、被害を受けた営業者のみでなく、その他の者も一般公衆の利益をまもるために同規定の定める請求をすることができるのであるから、本件の場合においても、被上告人以外の者はそれを請求することができるのであり、そのときには被上告人がかつて上告人との間でした本件和解が同規定による取消の請求を妨げるものとはならないことは明らかである。そうであるとすれば、被上告人が同規定に基づいて上告人の本件登録商標の登録取消の審判を求めている本件において、本件和解の存在することをもつて被上告人の右請求が信義則に反するとして直ちにそれが許されないというのは、同規定のもついわば需要者一般を保護するという公益性を軽視するものといわなければならない。

以上のようにみると、同規定に基づく被上告人の本件登録商標の登録取消の審判請求に関しては、本件和解が上告人の本件登録商標の不当使用の違法性を阻却する事由となるものではないとした原審の判断は、正当として肯認するに足りると考えられる。そして、被上告人の請求が認められるかどうかは、上告人による本件各使用商標の使用が同規定に定める要件をみたすかどうかにかかることになる。原審の適法に確定した事実関係、すなわち、本件各使用商標が本件登録商標に類似する商標であること、洋菓子について本件各使用商標を使用することによつて被上告人の業務にかかる商品の洋菓子と混同を生ずること、上告人はこの混同を生ずることの認識があり、同規定にいう故意の存することを前提として、同規定に基づく被上告人の審判請求を排斥した特許庁の審決が違法であるとして、被上告人の本訴審決取消の請求を認容した原審の判断は、これを是認することができると考えられるから、原判決を破棄する理由は存しないというべきである。

(裁判長裁判官 長島敦 裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡滿彦 裁判官 坂上寿夫)

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